2004/4/19  #9

自分史

つい先日 私の担当している生徒のHさんから思いがけない素敵なプレゼントを頂いた。
亡き父と亡き母の年忌を記念して作ったという「自分史」ちょうど三年前に自費出版したという。

現在82歳で英会話は75歳ぐらいから始めたらしい。
私は今の学校に去年の5月に赴任したのでまだ1年弱しか教えていないけど本当にエネルギッシュなおじいさんで毎週金曜日が来るのが待ち遠しい。
去年はアラスカの国立公園を旅行し今年はオーロラを見にフィンランドへ行ってきはった。
私から見ると世界の殆どの大陸を制覇しているように見えるけどまだまだやり残している事は多いらしくこれからも世界で新しい感動を
味わう為に毎週英語のレッスンに一生懸命励んでいる。
こうやって毎週会ってよく話している人の本を読むのは不思議な気持ちだ。
しかも自分史だから人生の全てをあけっぴろげにさらけ出している本。
何だかドキドキする。
ここで私が印象に残った彼の人生の一部を紹介したいと思う。

戦時色が強まる中徴兵令を避けるため必死に勉強して大学に入学したにもかかわらず戦線が拡大し、士官が大幅に不足した為Hさんもこの学徒動員に引っかかり彼の軍隊の時代が始まる。
最初は陸軍の歩兵連隊の二等兵として演習を積みその後見習い士官として戦地の満州へ赴く。
そしてソビエト軍との戦闘、関東軍の退却、日本軍の無条件降伏。。。
そこからHさんの満州の原野での悲惨な逃避行が始まる。
そして終戦二日後ついに満州のある川原でソ連軍と接触してしまい彼の人生の中で一番苦しいシベリアでの捕虜生活が始まった。

シベリアの宿舎には電気がないので夜は灯油を燃やして明かりをとる。
夜寝ていると天井から南京虫がポタポタ落ちてくるわ、シラミもあちらこちらから大量に沸いてきて寝てられない。
栄養失調の上にシラミの媒介による発疹チフスを患って毎日一人二人と寝ている間に死んでいく人が絶えなかったという。
しかしHさん1,2年その地に住むと収容所の暮らしにも慣れて生きる知恵もついてきて
貴重な栄養源であるまむしを捕まえては食べ、「壊血病」(毛穴から固まった血がぽろぽろ出てくる病気)を防ぐためにビタミンCの補給に夢中になりクローバーやはこべなどを食べて命をつないでいた。
冬の寒さは想像を絶するもので毎日マイナス20度ぐらい。
さすがにマイナス50度にもなると作業は中止になったらしい。
一年ちょっとで帰国できる日本人が多い中、Hさんは元将校だった為にいつもこの帰国の波から取り残され結局3年間をこのシベリアの地で過ごした。

彼が舞鶴に入港し日本に帰ってきた時の心情を綴った文章が印象的だ。
「あの三年間を乗り越えて日本に帰ってきたのだからもう怖いものはない。毎日生命の危険にさらされながらロクに食いもんがなかったにもかかわらず生き残れた。今後どんな事があってもへこたれない。矢でも鉄砲でも持って来い!」

この本は自分史なので勿論この戦時中の話やシベリア抑留生活以外の事も沢山欠かれている。
自分の先祖や家族の事、共産主義を植え付けられて日本に帰ってきた後商売を始めなければならなかった事。
どのようにビジネスを拡大していったかなど赤裸々に語っている。

何故「自分史」を書こうと思いたったんだろう?
本の中でHさんはこう言っている。
「自分という人間が何故今ここにいるかという事を過去を振り返る事で再確認したいという思いがあった。現役で働いている時は自分史を書こうという心の余裕がなかった。」
これは勝手な私の憶測だけど 4年前に99歳で亡くなったHさんのお母さんが
「これで肩の荷がおりた」と言った一言を聞いてきっとHさん「私の人生これで良かったんだ。
自信を持って自分の子供達に伝えられる」って思いになってこの本がかけたんじゃないかなあ。。。

この本を読み終えて今私はHさんという人物をどれだけ知ったんだろうと考えてみた。
これだけ包み隠さず語っている彼の人生を見せてもらってもまだ私は彼の半分しか知らないんじゃないか。
では 私のまわりに居る大切な人達の事を自分はどれだけ理解しているんだろう?
人の発する言葉を聞いて、その人の一つの側面だけを見て相手の事がわかった気になって勝手に人を決めつけていたかもしれない。
うまく言えないけど それは自我を守るために人をわかろうとする事を放棄してしまってる事だ。
人の多様性をもっと理解出来れば物事の本質が見えてきて自分が楽になれるよって、この本が教えてくれたような気がする。