2005/8/22  #71

言語論(?)


毎日暑いですね。
営業生活6度目の夏、スーツ着てオフィス街を練り歩くのにもだいぶ体が慣れてきて、かなり暑さに強い体になってきたと感じる今日この頃ですが、今年は頭の中が熱闘甲子園になっていたので、例年以上にカッカしながら日を過ごしていました。

・・・・ま、それも昨日までのこと。
故郷の宇部商業高校が準決勝で負けてしまい、2005年の私の夏はこれにて一区切り。

あとは来月、念願の奄美大島に行くことにしたので、それが終わったら、その先は例年どおり、秋冬のピークシーズンに向けてまっしぐら・・・・となるのかな。あんまりよく分からないな、先のことは。
「奄美に行くんですよー!」と取引先の人と話していたら、「・・・・ちゃんと帰ってきてね?」と釘をさされてしまいましたが、うん、行ったっきり定住しちゃうとか、そんなことをしてしまうくらい、いつも未来の可能性に対してオープンでいたいなあと、最近強く考えています。
もっとも、けっこう小心者なので、たとえ「このまま居ついちゃいたい!」と思っても、生真面目に身辺整理に帰ってくるのは目に見えていますが、まあそれは例えばの話。
未来はいつも変更可能、自由自在、と思っていたいなあと、そゆことです、はい。


最近、インドへの視察ツアーが増えてきました。
IT関連でインドが注目されているせいか、これまで中国が圧倒的に多かった企業視察の需要が、少しずつインドにも向かってきているようです。
視察ツアーというのは、アポイントなどの手配が複雑極まりない上、インドには日本人スタッフがいないので、その複雑な作業の全てを英語でやらなくてはならず、高校時代の長文読解を彷彿とさせるようなインド人の長文英語と、日々格闘しています。

中国以外の国とは、英文でのやりとりが多いんですが、双方とも母語ではないので、基本的には単語のぶつけ合い。
そんな中でインド人だけは、ほとんど母語並みに英語をあやつるので、ワンセンテンスが長い長い。
私も、ライター時代から「一文が長い、もっと区切れ」と言われていましたが、インド人には完敗です。「キミは大江健三郎さんか」とツッコミ入れずにはいられない、遥かかなたの句読点。

しかも英語って、すごいスペース取る言語だと思いませんか?
漢字って、世界で唯一の表意文字で、文字ひとつで意味を表せてしまうから、とっても省スペースなんですよね、思えば。
単語にもよりますけど一語がひどく長いと感じる。
DISTINGUISH とか PRONOUNCIATION とかAPPROPRIATEとか・・・。
中国語みたいに日本語に輪をかけて省スペースな言語に親しんでいるせいか、英文のあのパッと見の分量には、いつも唸ってしまいます。
想像してみてください。
日本と時差が3時間半もあるから、インドからのメールが日本に届くのはだいたい夜中。
そして朝一番にメールをチェックして目に飛び込んでくるのは、何かの罰ゲームかと思うような、長くてビッシリと画面を埋め尽くす難解なブリティッシュイングリッシュ・・・・。
もう、ひとつのツアーで書類が電話帳みたいな厚さになってて、担当者以外は誰にも理解できない、アンタッチャブルなファイルが出来上がっています。

あ、別に言語の優劣を言ってるわけではないです。英語になにか恨みがあるわけでもないんだけど・・・ちょっとグチってみました。はは。

言語って、ほんっとに不思議ですよねー。
分からない人にとっては、意味不明な音や形の連続でしかないものが、分かる人にとってはちゃんと意味をもった伝達手段として機能しているなんて。
ベトナム語とか、私の耳には「んにゃ〜んにゃ〜」と言ってるようにしか聞こえないし、タイ語はクルクルと丸まった象形文字のようにしか見えないのに、それはちゃんと意味を持って、それを操る人々の生活に必要などころか、精神や文化にまで影響をおよぼしているんだから。

私ね、言語って、それを使う民族の精神そのもののように感じています。
なんていうんだろう、ある人の性格や精神のあり方というのは、どの言語を使うかによって、けっこう左右されてしまうんじゃないだろうか、と。
環境とか受け継がれる文化とか教育に影響されるのはもちろんだけど、ある共通した言語を使うことによって、共通する精神性や思考傾向が育っていって、それが民族の集団を形成していくんじゃないかなーと思うのです。
えーっと、民族のアイデンティティーそのものを背負ってるのが、言語っていうか・・・。

そう思うと、戦時中の朝鮮や台湾に対する日本語の強制とか、ネイティブアメリカンやアイヌ、アボリジニの人たちが迫害される過程の中で自分たちの言語を奪われたこととか、本当にひどいことだと思います。
誰だったか、各国の言語を廃して英語を共通語とすることで、国境をなくし、世界をひとつにして平和な地球を創造する、みたいな案を提唱している著名人がいましたが、なんか変、それって。
平和な地球は結構だけど、世界中が英語しか使わなくなることで、失われるものがどれほど多いことか。

・・・・えー。そういうわけで、当分のあいだは、私は日本語を母語とし、タイ人はタイ語を母語とし、ベトナム人はベトナム語を母語として、共通言語としての英語を、悪戦苦闘しながら駆使していくしかなさそうです。

日々是修行也。