2003/6/23  #29

カンボジアで感じたこと(1) 
〜与えさせていただくということ


無事、カンボジアから戻りました。
『無事』などという単語が奇異に感じられるほど、訪れたバッタンバン市は、素朴でのどかな、小さな街でした。
もっとも、陸路でここへ到達しようと思えばかなりの悪路ですし、暗くなってからの一人歩きなどについては、外国人女性にとって決して安全とはいえない、とのことでしたが・・・・。

驚いたのが、バッタンバン空港に着陸し、プロペラがくるくる回っている小さな飛行機にタラップを降りた瞬間、滑走路にバイクタクシーの客引きが現れたこと。
掘っ立て小屋のような空港ビルしかないとはいえ、客引きが入り込んで滑走路で「ハイ、タクシー?」って、そんな。
そりゃ、牛が滑走路に寝そべって、飛行機が上空待機するはずです。

今回の訪問先は、日本のNPOが運営する青少年の自立支援施設と、そのNPOが援助している、ストリートチルドレンの援助施設です。
1ヶ月前、仕事絡みでこの施設のことを知り、「見たい、聞きたい、知りたい」の一心で、何の準備もアイデアもないまま、ほとんど衝動的にここまで来てしまいました。
2人の日本人女性スタッフを始め、施設スタッフの方々にとって、この闖入者をどう扱うべきか困惑されたことと思いますが、ありがたいことに、とても温かい笑顔で迎えてくださいました。
(このNPOの活動内容や施設の詳細、子供達の詳しい話については、後日、きちんと先方の了解を得た上で、次回以降に書いていきたいと思います。)

この施設では毎年春と夏に、日本の大学生を招いて、数週間のプログラムで色々な交流活動を行うそうなのですが、たった丸3日間の私は、浴衣の着付けを教えたり、識字教室に参加してみたりする以外は特にこれといったことをするでもなく、毎日子供達に遊んでもらい、ただただ、その可愛らしい笑顔に圧倒されていました。

子供達・・・といっても、ストリートチルドレンの施設は小さな子供ばかりですが、
日本のNPOが運営する施設のほうは、子供用の施設ではもう面倒をみることができない、でもまだ支援を必要とする10代の少年少女が暮らしていて、学校へ通ったり、職業訓練を受けたりしています。
この年頃の子というのは、日本であれば妙に大人びて斜に構えていたりして、大人の目から見て、「抱きしめたいくらいカワイイ」というようなことはあまり無いのですが、ここの子供達はもう、本当に可愛くて可愛くて、どうしようかと思うような・・・・。
習いたての英語で一生懸命あいさつしてくれたり、少し慣れてくると、話しかけながら抱きついてきたり手をつないだり、カメラを向けるとワーっと集まってきて、一斉にヒマワリのような笑顔を見せてくれたり。

もちろん、これは無責任な部外者の感想でしかないし(言葉もほとんど通してなかったし)、これまで難しい境遇で過ごしてきた子供達ですから、私たちには計り知れない傷も、心に抱えているのかもしれません。
実際、施設のスタッフの方から伺った話の中からも、かなりハードな現実を知ることができました。

でも、それはそれとして、私はここの子供達が大好きになってしまいました。

出発前、色々な人に、「ボランティアに行くの?」という捉えられ方をしました。
会社の人にも、「会社休んでまでボランティアか、すごいなあ」と言われたり。
私としては、施設の子供達のために何かをしに行くというような感覚はなく(実際、何もしてない)、ボランティアって何なんだろうなあ、と思いながらのカンボジア渡航でした。

そして、ちょっと分かったことがあります。
私は、施設の子供達に会い、わずかな時間でしたが彼らと過ごし、彼らのことをとても大切に、いとおしく感じました。
彼らは、「恵まれない不幸な子供」などでは決してなく、彼らなりの幸せや不幸せを抱えながら懸命に生きているだけだと私は思いますが、それでも他の子供達に比べれば、他者の支援を必要としている境遇です。
私はたぶん彼らの施設に対して、僅かながらでも、経済的な支援をこれからしていくと思います。
でもそれは決して施しではなく、彼らが大好きだからです。
いとおしいと感じる相手に対して、何か自分にできることがあって、それを相手が必要としていてくれるとしたら。
こんなに嬉しいはない、と、たぶん誰でも感じるのではないでしょうか。

「与える」という言葉は、上からモノを言うようであまり好きな表現ではないけれど、もしこの言葉を使って言うとすれば、「与えさせてくださって、ありがとう」というような感じかもしれません。
ボランティアについて、「本当は、対象となる相手に救われている」というふうに表現してくれた友人がいましたが、本当にその通りだなあと、いま感じています。

ボランティアという言葉の定義は難しいし、今回の私の渡航はやっぱりボランティアではない(英語の「ボランタリー」なら、ちょっと近いような気もするけど)と思いますが、他者に対して何かを働きかけるときに、愛情というのは不可欠なものなのだということを今回、なんとなくですが知ることができました。
愛情のない働きかけは義務や自己満足でしかないけど、そこに愛情があれば、相手に何か「与えさせていただ」けばいくほど、自分もどんどん救われていくのだと思います。

今回、浴衣を送ってくださった方に出発前、「ありがとうございます」と伝えたところ、「こちらこそ、参加させてくれてありがとうございます」というようなお返事をいただきました。
こうやって、感謝の気持ちがお互いの間に巡っているということも、私の気持ちに力を与えてくれます。
浴衣をくださった方を含め、できるだけたくさんの人に、私が見てきたことを伝えていきたい。
そして、間接的にでも施設の子供達を知ることで、彼らに愛情を感じてくださる方が出てくれば、とも思います。

・・・次回、この施設の活動内容や子供達のことについて、もう少し詳しい話を書いていければと思います。