2003/3/17  #20

「ひょっとして、救われるべきはアメリカかも。」

(*今回はスイマセン、アジアに関係ない話で、しかもほとんど独り言です。でも、こうして発言の場所を与えられていることについて、深く感謝したいと思います)

『全ての攻撃は、助けを求める悲鳴である』。だそうです。

以前、悩み事を抱えていた時期に、突破口を求めて繰り返し読んだ本の中で出会った一文です。
私たちが誰かを責め、攻撃するとき、私たちは必ず「困っている」状態にあることに、私はこの一文に触れて、初めて気が付きました。
誰かのせいで損をした、何かのせいでツライ気持ちを味わった、誰かのせいで被害を受けそうになった・・・・。自分が満ち足り、幸せな気持ちでいるときに他者を攻撃しようなんて思いつく人間は、この世にはいないと思います。
動物だってそう。自分の生命を脅かされるから攻撃する。あるいは、相手を食べなければ餓死してしまうから攻撃する。生きる為に必要なスペースを侵されるから攻撃する。

お腹がいっぱいで安全が保証されているときに、他者を攻撃する動物がいるはずもありません。

卑近な例で申し訳ないけれど、営業という仕事柄、取引先からの攻撃の矢面に立たざるを得ない場面にときどき遭遇します。
現地でのトラブルの責任を糾弾される、ちょっとした書面の作成ミスを責められる、内勤スタッフの対応が悪かったとお叱りを受ける、などなど。
そのどれもが、こちらにも納得できる形の指摘や補償請求であれば良いのですが、中には「それって逆ギレやん!」と言いたくなるようなものもあるし、どう考えても納得できない、理不尽な責任転嫁だったりすることもあります。
以前の私は、そんな場面に直面すると、トイレに避難して悔し涙を流しながら、それでも少しでも自分達の収益を守ろう、損を減らそうと、とてもピリピリした気持ちで交渉のテーブルについていました。
けれど、攻撃と悲鳴が同義であると知るようになってから、トラブルの処理方法も変わってきました。
要は、相手も「困って」いて、「助けてほしい」のです。私も、たいがい困ってはいるけれども。

不思議なもので、そのように考え、理不尽な主張をぶつけてくる相手の怒りを包み込み、相手の窮状に理解を示して接するようになると、驚くほど解決のスピードが速くなってきました。
起こったトラブルにうろたえ、お客さんから請求されるかもしれない金銭補償のお金の出所に頭を痛め、悲鳴をあげて業者を責める取引先の人に対して、私まで一緒になってキレ返していては、何の解決にもならないんですよね。どこかで、攻撃の連鎖を止めなくちゃいけない。
もっとも、言うほど完璧な対応を、いつもできているわけではありませんけれど。

これってたぶん、もっと大きな出来事に対しても、適用できない話ではないように思うのです。

小さな人間関係の中で起こるリレーションシップを、国と国の関係にまで当てはめて考えるのは、あまりに突拍子もなくて、バカバカしいと思われるかもしれないけれど、いま世界で起こる紛争や戦争を起こしているのは、まぎれもなく「人」なんだから、絶対に関係ないとは言い切れないんじゃないか、と。

いまや多くの人にとって、アメリカこそが「悪の枢軸」であって、平和を願う人々の批判の的となっています。
正直なところ、私もアメリカの主張は全く理解できないし、ブッシュは真剣に頭が弱いのではないかと思うときもあるし、できる範囲の反戦運動はどんどんやっていきたいと思います。

アメリカは、どんどん孤立し、ユニラテラリズム(単独行動主義)的行動を強めています。いや、強めざるを得ない方向に追い込まれているんじゃないでしょうか。怖れのために。
私は、アメリカもイラクも北朝鮮も、針を逆立てているハリネズミのような気がして、とても可哀相だと思うときがあります。
各々、イラク攻撃だの、大量破壊兵器の保有だの、拉致問題だのテポドンだのと、他者にとっては許しがたい要素を抱えてはいるけれど、どれもこれも、自分の利害や主張が周囲に受け入れられなくて、批判され攻撃されることに怯えて、必死に針を立てて震えている小さなネズミみたい。

国際社会から孤立し、イランイラク戦争時には国際法で禁じられた生物科学兵器まで使用し、クゥエートに侵攻したイラクは、いわば病んだ国家です。国民の幸不幸は別にして、国家としては非常に危険だと思う。
北朝鮮なんかも、国家体制としては本当に危険ですよね。国民も幸せそうでないし。


そしてまたアメリカも、病んだ国家といえるのではないでしょうか。
人様の国をつかまえて「アンタは病んでいる」などと弾劾するのはとても不遜なことだけれど、物質至上主義の先端を走り、富を独占し、他者を従わせるほどの軍事力と経済力を持ちながら、周囲の尊敬を集めるどころか孤立し、自国の国民にまで、これまでの方向性の誤りを批判されるアメリカ。
これって、「病み」、「悲鳴を上げ」「攻撃に転じている」状態なのではないでしょうか。

痛みを抱え、悲鳴を上げている者同士が戦い、罪もない人々が死んでいく。
それを見ている私たちもまた、悲鳴を上げ、争いを起こした者たちを批判・攻撃し、憎しみの連鎖が続いていくとしたら。

だからといって、他者に悪影響を及ぼすことをしている者を放っておくということでは、もちろんないです。
でも、それらを力によって捻じ伏せるのは、対症療法でしかないと思う。痛み止めを飲んだところで、痛みの元となる傷口が癒えていなければ、後から後から痛みは現れるんですよね。

イラクには、改めてもらわねばならないことがたくさんあると思います。
そしてアメリカには、悪であるように見えるものをただ排除するのではなく、癒し、共存していく方法があることに、早く気づいて欲しいと思います。

そして大のアメリカ嫌いの私もまた、内部に大きな軋轢と痛みを抱えた彼らを責め批判するだけではなく、どうしたら彼らが新しい方法に気づいてくれるのか、真剣に考えてあげなければならないと思いました。
個人にできることというのは、あまりにも小さくて、吹けば飛ぶようなものかもしれないけれど、小さな波紋は必ず対岸に届くと信じることが、スタートになるのかもしれません。

真の「成功」とは、相手に勝つことではなく、「みんなが勝つこと」なんだそうです。あるセラピストの方がおっしゃっていました。だとすれば、アメリカにイラク攻撃をやめさせることができたとしても、アメリカがそれを自らの敗北と思うようでは、真の成功ではないんですよね。また新たな火種を生むことになる。

どうか誰も負けませんように、と私は思います。対話を続け、アメリカがそれなりに納得した上で振り上げた拳を納めてくれれば何よりです。
イラクの人々はもちろんのこと、アメリカの人々も、これ以上自分達を傷つけませんように。人を傷つけることは、自分を傷つけることと一緒だから。
因果応報、ではないけれど、どんな行いもまた、回りまわって自らに戻ってくると思います。そのときにどうか、彼らが恨みの声を上げ、またしても人を攻撃する立場に追いやられぬよう、彼らこそがこの悪循環から抜け出せるよう、私は願ってあげたいと思います。そしてそれは、私たちにも平穏をもたらすものだから。

とにかく、皆が心安らかに暮らせますように。対話とコミュニケーションがイラクの子供達だけでなく、アメリカという国を、そしてもうそれらと切り離しては存在し得ない私たちの国をも救うよう、私なりにできることを考えていきたいと思います。