2003/2/12  #17

死体を撮りたい、か?

インド・ベナレス。
母なる大河ガンジスの懐に抱かれたこの地は、インド国内はもちろん、海外のヒン
ズー教徒にとっても、一生に一度は巡礼したいと夢にまで見るという、まさに聖なる
地です。
と同時に、ここは死に向かう人々の目指す地でもあり、インド各地から死に場所を求
め、さまざまな階級の人々がやってきて、この街でじっと旅立ちの時を待っていま
す。
この地で死んで荼毘に付され、その灰をガンジスに流してもらえば、来世は幸せにな
れるのだとか。
毎日、ガンジスのほとりでは屋外で火葬が行われ、その光景は異邦人の私たちの心に
強い印象を焼き付けずにはおきません。

・・・・・が。
撮りに行くんだ、この光景を、日本人旅行者が、ゾロゾロと!

死体を焼いているわけですから、当然、人間が燃えていく様というのをはっきりと見
ることができます。それは興味深いものでしょう。
けれど、これは死に際する厳粛な儀式なわけで、異教徒は当然近づくことはできない
し、写真を撮るなんて、超タブーです。
そりゃそうでしょう、自分の肉親を荼毘に付してる様子を、見ず知らずのガイジンが
写真なんか撮ってようものなら、私だって暴れるもん。

もちろん、芸術とかジャーナリズムという観点から見れば、非常に価値ある被写体で
あるということも分かるし、それによって何かを伝えようという意図を持つ人がいる
というのも、理解できます、いちおう。
藤原新也とかも、いい写真撮ってますものね。
そのへんの意識とか見解とかって、立場が違えばそれぞれの意見があるだろうと思う
から、一概に良い悪いを決め付けることはできないのかもしれないけれど。

多いんです、「ベナレスへ行って、火葬の様子を写真に収めたい」っていう旅行者の
方。これまでにも、旅行者が現場に近づいて写真を撮っていて、現地の人との間でトラブ
ルになったこともあるし。
先日も、どうしても火葬の写真が撮りたい、そうでなければインドへ行く意味がな
い、と強硬に主張するお客様がいらっしゃって、結局、ガンジス河にボートを浮か
べ、その中から望遠カメラで盗み撮りしていただく、という方法をご提示させていた
だきました。
「決して見つからないでくださいね。何があっても、責任は負いかねますよ」と念押
しはさせていただきましたけど、そういう趣旨の手配をインド事務所に連絡するの
が、私は一番情けなかった。
撮ってどうするんだ、その写真。
いい写真を撮ることと、衝撃的な写真を撮ることは、全く意味が違うと思うんだけれ
ど。

なんでもかんでも色んな情報が溢れ、居ながらにして世界中の写真や映像に触れるこ
とができる時代。
行ったこともない場所、触れたことのない物も、写真でならつぶさに見ることができ
るし、遠い国の人々の生活や風俗だって、今は情報として世界中へ飛んでいきます。

けれど、そんなに何もかも、知らなくちゃいけないんだろうか。
ジャーナリズムって、何ダロウ。人間の興味とか好奇心って、ナンダ。
伝えるべきことはたくさんあるけれど、だからといって、世界中の何もかもを白日の
下に引っ張り出すことじゃないんじゃないか。

ガンジスの火葬の様子を、異教徒のガイジンに興味本位に覗かれたくないと現地の人
が思うのなら、私たちは知らないままでもいいんじゃないかと、時々思ったりもする
のです。
誰も伝えなくていい、藤原新也も伝えなくていい、彼らがそれを望まないのなら。
私たちは、そんな火葬があることを噂で聞くだけで、その様子を視覚的に認知するこ
とのないまま一生を終えたっていいんじゃないか。そう思うんです。
「知ること」のほとんどは、良い結果へと繋がっていくけれど、かといって全てが善
じゃない、知らないことのほうが善な場合もある、っていうか。

それって、「アジアのことを伝えたくて、この仕事をやってる」という自らの言葉
に、もしかしたら反してると思われるかもしれないけど・・・・。
伝えるべきところと、そうじゃないところ、ちゃんと分けて接していきたいと一応は
考えていきたいな、と思っています。

・・・って言って、そのカテゴライズが間違ってたらどうしようって、不安ではあるん
ですけどね。ガンジス河にボート浮かべて盗み撮り、とかいう姑息な手段を容認して
しまっているあたり、まだまだ大上段にモノ言える立場じゃないな、と反省してみた
りするのでした。
エラソーなことゆって、すいましぇーん。