第5回 その12


翻訳やバンドやNRBQの公演は、
自分の思いを自分のスタイルで
伝える場所みたいなもの。
今は、自分なりの形っていうのが
できかけてる時ですね。

□ラムネ庵
今日こうやって、翻訳のお仕事のお話とかNRBQの大阪公演のこととかを
聞いて、これからどんなことに中島さんは挑戦していくんだろうって
思ったんですけど、今後やろうとしてることとか、野望みたいなものって
あるんですか(笑)

□中島さん
野望っていうか、別に大それた事は考えてるつもりはないですけど(笑)
やっぱり今は、翻訳を通じて自分の伝えたいことを
表現していきたいと思ってます。

□ラムネ庵
音楽ですか?

□中島さん
音楽もそうですけど、音楽じゃなくてもいいですね。
自分を表現する方法として、今は自分で選んだ本を訳して、
あとがきの文章1ページか2ページで自分自信を表現する。
そういうことをやっていきたいと思ってます。
それからNRBQの素晴らしさを
もっといろんな人に伝えていきたいですね。
でもやるとしたらビジネスというか僕の仕事としてやっていきたいと
思ってるんです。
単にボランティアでもできるるんだろうけど、
ボランティアではどうしても続かないですからね。
だからNRBQの良さをじっくり伝えていけるように、
ちゃんと仕事として実入りがある状態にしていきたいですね。

□ラムネ庵
中島さんは自分を表現するっていうことを大切にしてるんですね。

□中島さん
そうですね。結局僕は自分を表現できる場を探してると思うんです。
自分が思ってることを自分のスタイルとして伝える場所として、
翻訳であるとか、バンドとか、NRBQのこととか
自分なりの形っていうのが
今できかけてるのかもしれないです。

今日も僕のやってることに何か感じて
話を聞きに来てくれたらわけでしょ。
自分が何をやってるかなんていちいち人に言わないけど、
表現しつづけていたら、ちゃんと感じてくれる人がいるわけです。
それが実際こういう新しい繋がりを生んで、
また仕事なりクリエイティブな活動に繋がったりね。
それには常に僕が動いていなかったらだめだなって思うんです。

□ラムネ庵
そこまで中島さんを突き動かしているものってなんなんでしょうね。

□中島さん
うーん、そうですねぇ。
翻訳のことも、NRBQのことも、それなりに色々枝葉の話はあるけど、
中心線は一緒なんじゃないかなと思います。
それは何かって言ったら、やっぱり最初は京都の人たちとか、
自分の周りの人たちから教えてもらった、
「自分の好きなことをして生活していく」っていうスタイル。

自分で責任を負いつつやりたいこを達成するために
四苦八苦しながら生活するっていう
へんてこなライフスタイルがあるってことを
知ってしまったんですね(笑)
じゃあ僕のやりたいことは何かって言ったら、
何かわからないけど、自分の中のエネルギーがワッとわいてくる部分が
あるんですよね。
NRBQの公演を企画したり、
翻訳の仕事をするって決めた時もそうだった。
それはやらずにはいられないんです。

もっとはっきり言ってしまえば
それ以外のことは全然したくない(笑)
だから5年後にはいっぱいいろんな本を訳して
翻訳者として成功してるかもしれないし、
もしかしたら翻訳をやめて音楽業界に飛び込んでるかもしれないし、
そのへんは自分のなかからでてくるものに任せてます。

□ラムネ庵
しっかりと決めてるわけじゃないんですね。

□中島さん
全然考えてないわけじゃないですけど、
でも最終的に方向を決めるのは
僕の頭っていうよりむしろ別の何かですね。
仕事を辞めて翻訳を始めようっていうのも、
できるかできないかって
打算的なことを考える前にやるって決めてた。

□ラムネ庵
だから未練がなかったんですね。

□中島さん
なかったです。
だってサラリーマンしてたら
NRBQのこともできなかっただろうし、
音楽に関してはあきらめてたかもしれない。
経済的な安定を捨てた見返りに自分のやりたいことができる時間や、
精神的なゆとりを手に入れたっていうか。

でもその代わり、これからも生活とやりたいこととの
せめぎ合いっていうのは続くと思います。
そんなに簡単なことじゃないですからね。
うちの嫁さんにはもっと生活のことも考えてよって
しょっちゅう言われてます(笑)

□ラムネ庵
あー、まぁ生活を支えてくれてる人ですからね(笑)
やりたいことをやってお金もすごい入るなんていうのは
ごく限られた人でしょうね。

□中島さん
そうですね。現実は甘くない。
でも僕はそれをしていこうとしています。
今の僕はまだひよっこだけど、ちょうど人間として
確立しかけてる時じゃないですかね。

□ラムネ庵
今日は、本当にありがとうございました。




(NRBQの大阪公演は11月26日に大成功のもと終了しました。
インタビューは、大阪公演前の10月のものです。)