第3回 その3


最後にものをいうのは、
数ミリの世界へのこだわりなんです。



□うえやま
展示会などを見に行って、
この器いいなぁと個人的に思うことは
あるんですが、いい器の見分け方ってあるんですか?

□喜多さん
そんなものはないです。
自分が使う物だから、気に入ったものが
いいに決まってるでしょ。
ただ、作る側としては、
上品で隅々まで心の行き届いたものを作りたいと
常々思っています。
下品なものは決して作らない。(笑)

□うえやま
それは、喜多さんの心の持ちようですね。

□喜多さん
いや、作り手の心というのは、
作品に現れてくるもんですよ。

□うえやま
そういう意味では、高い値のついているものは、
それなりにいいものだと思いますか?

□喜多さん
物にもよりますが、やっぱり
いい物は、誰が見てもいい。
もし良いのがあれば、他人の作品でも
自分の懐具合と相談して買いますよ。
実際に生活のなかで
使っているものもありますから。

□うえやま
作られるときは、暮らしのなかで
使われるシーンを想定されているんですか?

□喜多さん
それは、ほとんどありません。
あくまでも使う側の自由でしょ。
抹茶碗を作っても、使う人がくだらないと思えば
飯茶碗になるし、
上等であると認めてもらえれば
茶室で使ってもらえるだろし、
それは、こちらで決められるものじゃない。

ただ、自分の作った作品は自分で必ず
使うことにしています。
実際に使ってみないと、人には売れないですから。
自分で自信を持てるものでないと、
作品として出せないという意識は常に持っています。

□うえやま
使い方は自由だけれど、
器の形から使いやすさまで、
作り手としての心配りがないものは
だめだということですね?

□喜多さん
そうです。
自分で使っていない作品は、
やっぱり、どこかに心が行き届いていない部分が
出てきます。
何かを真似て作っているもののなかには
そういうのが比較的多いですね。
ひどいものになると、
香炉を作っても、香を焚いて、
蓋を閉めると火が消えてしまうものもありますから(笑)
それは、自分がお香を焚いたことがないから
わからないんです。

作品というのは、
最後にものをいうのは、
数ミリの世界へのこだわりなんです。
曲線ひとつとっても、その形状が微妙に
違っただけで、ずいぶんと受ける印象が変わってきます。

陶芸は、多少練習をすれば、ある程度形の整ったものは
作れるようになるんですが、
細部にわたる繊細な心配りができるかどうかで
大きく変わるんです。

そして、最終的には、やはり芸の世界ですから、
センスがものをいいます。
何十年やっても、もって生まれたセンスは変わらない。
極めていけばいくほど、努力では越えられない領域が
はっきりと見えてくるものです。

□うえやま
喜多さんの作品には、上品さがあるという
という評価があるようですが。

□喜多さん
そういう風に評価されていることは
ありがたいことです。
まぁ、生まれもった品格が
作品に出てるんでしょう。(笑)
この点は、親に感謝してますよ。(笑)

□うえやま
その品格という点が、
喜多さんの作陶のテーマにも通じるのですか?

□喜多さん
特に意識しているわけでもないですが、
結果として作品に現れてくれればいいと思っています。