第3回 その1


陶芸には、人が介することのできない領域がある。
そこが、すごく魅力的なわけです。

 

□うえやま
今日はお忙しいところ、
お時間をいただきありがとうございました。
最初にひとつお願いしておきたいことがあるのですが、
この記事を読む人たちは、ぼくも含めて陶芸について
ほとんど知識のない人が多いと思います。
その点をご理解いただいた上で、
お話をお伺いしたいと思います。
よろしくお願いします。

早速ですが、喜多さんは、
コピーライターとして会社勤めされていて
ぼくも直属の後輩として、すごくお世話になったのですが、
退職されて何年になるんですか?

□喜多さん
丸5年になるかな。

□うえやま
まだ5年でしたか。
ずいぶん前のことだと思っていましたが、
まだ、それくらいだったんですね。
ところで、喜多さんの雅号というのでしょうか
陶芸家としての名前を「喜多 昔」とされているんですね。
この昔という響きが、すごくいいなぁと
思うんですが、この昔という名前の由来は
なんでしょうか?

□喜多さん
伊勢物語のなかで、
「昔、男ありけり。」というくだりがあるでしょ。
その昔男というは、
昔の風流を解する男という意味で、
在原業平のことをそう呼んでいたんです。
その昔男を引用して、喜多 昔としました。
古典的なものへの深い造詣と、
それらが持つ品格や美しさを継承したいという想いを込めて
つけたんです。

□うえやま
古典のことはよくわからないんですが、
すごく響きがよくて、きれいな名前だと思いました。
陶芸の道に進まれてから、5年になるということですが
そもそも、5年前に転身されたきっかけは何だったんですか?

□喜多さん
会社に入る前から、将来は造形物を創る活動に
専念したいという気持がありました。
実際、会社勤めをしているときから、
ずっと版画をやっていたんです。
いろんな事情で会社にいたわけですが、
年齢的にラストチャンスだったんです、あの時期が。

□うえやま
喜多さんが版画をされているのは、ぼくも知っていました。
実際に作品も個展で見せていただいたのですが、
なぜ、版画じゃなくて、陶芸の道を選ばれたのですか?

□喜多さん
版画や絵画など、ほとんどの造形物は
人間の手で100%完結するでしょ。
アイデアから最後の仕上げまでが、
作者の手によって作られるわけですから、
偶然性は限りなくゼロに近い。
しかし、陶芸はそうじゃないんです。
最後の1割は天に任すようなところがあるんです。
窯に入れたら最後、出てくるまで
どうなるか、わからない。
人が介することのできない領域があるというのが
すごく魅力的なわけです。

□うえやま
物作りにおいて、その最後の1割を天にまかすという考え方は
すごく新鮮ですね。

□喜多さん
個人的には、多くの造形物の表現手法というのは、
限界がきていると感じています。
これから新しい領域を見いだす可能性は、
厳しいと考えるのが現実的だろうと思います。
唯一、可能性があるのは、CGなんでしょうが、
それは自分の領分ではないので・・・。

そういう意味で、陶芸のもつ最後の1割の偶然性というのが
新しい表現の可能性をはらんでいるように感じたんです。

□うえやま
窯に入れた後、温度や焼く時間は、
もちろん計算されているんですよね。

□喜多さん
もちろん焼き上がりを想定して計算しています。
釉薬(ゆうやく=うわぐすり)は、
窯の温度が1200度を超えてくると、
非常に繊細な反応をするようになります。
10度上げて焼くだけで、
その仕上がりは全く違うものになることもあるんです。
それは、釉薬の溶け出し具合やススの付き方など
さまざまな要因が重なってくるので、
ある程度までは経験と勘で制御できても、
その先は、神のみぞ知るという世界なんです。

□うえやま
追求するものが高くなればなるほど
その領域がよけいに大きく見えてくるんでしょうか?

□喜多さん
そうですね。
新しい模様や色合いを追求するために
実験的に焼く場合があるんですが、
そういう場合は、窯をあけると
全滅しているという場合もあります。
それくらい難しいんです。

□うえやま
お聞きしていると、
最終の窯で焼く段階が一番、大変そうですが、
発想から完成までのなかで、
一番気を使う部分はどこなのでしょうか?

□喜多さん
もちろん、窯で焼くときは、
非常に気を使いますが、ただあとの9割を
おろそかにしていいかと言えば、
決してそうではありません。
先の9割があって、あとの1割があるわけですから。
全行程において、しっかりと作り上げて
最後の1割を神に託す。
気のおける段階はどこにもありません。