2003/4/25  #47

春と孔子


こんにちはー、ラムネ庵です。

いやはや、桜も散って新入生もはいって
新しい生活が始まってますね。
私事でありますが、毎年、春になると
自分が果たして成長しているのだろうかと
ものすごく不安になります。
後輩ができたりして、一年の節目ですからねえ。
そりゃあ昔の自分に比べるときっと変わってきてるんでしょうけど、
その幅がとても小さいような...。
それといい方向に変わればいいんですけど、
歳を重ねるごとに悪くなってることもあるように思うんです。
だんだんずるくなったり。お酒飲みすぎたり。
子供にくれだまししたり...etc
だから僕にとって
春は自分を見つめ直す時期でもあります。

そういえば、先週のコラムで紹介した
「不惑」って言葉。論語からきた四十歳の異称っていう意味でしたね。
読んでくれた方に教えてもらったんですけど、
あれはもともと孔子が自分の人生を振り返って何歳はなんとかって
詠んだ詩の引用だそうですね。だから不惑以外にも人生のふしぶしに
いろんな言葉ができてて、
十五歳だったら「志学」。学問を志す。
三十歳は「而立(じりつ)」。三十にして立つ。
五十歳は「知命」。天命を知るって意味で天職と自己の限界を共に悟る。
六十歳は「耳順(じじゅん)」。何を聞いても素直に受け入れる。
七十歳は「従心(じゅうしん)」。思いのままに振る舞っても、
決まりに外れない。

なんだそうです。
孔子の人生の軌跡がわかりますねえ。
最終的には心の赴くままにふるまえて、しかも人に迷惑がかからない
ようになるっていう状態になるのが理想的なことなのかな。
そうなるまでは年齢年齢で到達点みたいなものがなきゃ
だめなんでしょうね。
これみると三十まではまだまだひよっこってことみたいです。
なーんだまだ大丈夫か。って安心してしまいそうですが、
そこが僕の悪いとこ。早く立てるようにがんばろっと。
逆に五十歳までは自分の限界を悟れない。
それくらいまではがんばり続けなきゃってことなのかも
しれないです。

孔子のこと書くなんておじいさんみたいですが、
そんなことを考えた今週でしたー。

最近言葉の意味シリーズが続いたので来週はちょっと
違う話題でいきたいと思います。

ではでは、また来週。