2006/6/21  #6

野風組曲   第6章

フーガ


今日という日は二つに分けて考えるほかなろう。

第一部。朝八時半にグリーンホテルを出、桂浜にいたる。すると、驚いたことにここにもババヘラ(チンチンアイス)がいたのである。ババヘラ評論家のA事業部0氏いはく。「ばばぁが、ヘラを持ってアイスを売っているからババヘラである。しかも、彼女達は非常に局地的な場所に配属され、アイスを販売しているので衛生面に問題がある。なぜ衛生面に問題があるかと言うと、その局地的な環境ゆえに生理現象の後始末が行き届いていない。のどかな田園風景の中で、一人しゃがんだおばちゃんが葉っぱをちぎって拭き拭きしている光景は、私たちをどこか懐かしい根源的な世界へと導いてくれる。そのような手で、アイスをこんもりと盛ってくれるので、我々はついつい手が出て買ってしまうのだ。」そうだ。しかし、東北各地では良く見かけるのだが、四国にもいるとはなかなか商魂たくましい。そこには、「こじゃんとうまい!アイスクリン」と旗が立ててある。こじゃんとうまいとは、一体どういうことかしらん。おばちゃんに聞いてみる。「それはなね、とってもおいしいってことよ。」もう一つの方には、「まっことうまい!」と出ている。いろいろである。ともあれ、かつてここに立っていたであろう坂本竜馬と同じ場所に座って、海を眺める・・・。

しばらく走り、四万十川源流あたりからずっと川沿いの道を走る。ゆっくり走る。すばらしい、美しい。途中、バイクを降り、川原で水浴びをする。初夏の新緑、さわやかな葉の音、やさしい木漏れ日、のどかな田舎道、すい込まれそうな碧い川。心があらわれるような水の音。まさに天にも昇る気分である。走っていてこんなに気持ちの良いことはなかった。長い、とてつもなく長い川だ。だが、おかしい、海はあっちのはずだが、川が内陸に向かって流れている。きっと海岸沿いがかなり高いのだろう。支流が数え切れない。どの支流にも別の名前がふってある。どれが本流なのか、四万十川。あるいはこれらすべての支流含めた総称が四万十川なのか。水の色というのは不思議なものだ、あお、青、蒼、碧。走りながら下の川を見ると、カヤックで川下りをしている人が、俺様に手を振っている。手を大きく振り返す。しばらく川と道で一緒にランデブー。そしてそれぞれの道を行く。面白いところを見つけたので、一休みする。細かい支流が出会うところ。川の水の色が四色。これはまるで弦楽四重奏。それぞれリンとした旋律のまま美しいハーモニーを奏でている。この流れと一緒に走っていると、バッハのフーガを思い浮かべてしまう。主旋律に呼応するように他の旋律が、重なり合う対位法という技法は2声にも3声にも変幻する。そこから生み出される和音は、自然界の様々な出来事が影響しあうのによく似ているような気がするのだ。おやっ、ホーホケキョとホトトギスが鳴いている。目を閉じて耳を澄ます。水の音、鳥の声、緑の匂い。ここで一句。

鳴かぬなら  鳴くところへ行け  ホトトギス

後になって知ったのだが、ホーホケキョはホトトギスではなく、ウグイスなのであった。

そうそう、こんなこともあった。川の中を鯉が親子で泳いでいた。十mくらいのデカイヤツだ。地元の人もなかなか粋なことをする。そういえば5月はこどもの日があるのだった。その鯉のぼりは丸い口をぱっくりと開け、川の中をゆらりゆらりと優雅に泳いでいる。

たくさん褒めちぎってきたが、いいことばかりではない。この川にも開発の現場が数箇所。なんてことをしやがる、ほっときゃいいものを。ここも、人間様のこじつけた仕事場になって、二年もすればまったく違う川になるのだろうか。この横を流れている川がまた下流に下るほど汚れてくる。四万十川自身はキレイなままだが、一体どういうことなのだ。

バイクを止める場所があったので、一休みする。その流れに、高知で買った小瓶のウイスキーをとくとくと注いでやる。もうここへ来ることもなかろう。上流から河口まで、ほとんど色を変えずに頑張っている。男らしい川だ。そこで出会う人々とのなんでもない会話が、どんなにか俺様の心をやさしいものにしてくれただろう。

いくつもの旋律が織り成す、フーガのすばらしい和音は、今でも自分の中を流れている。それは力強く美しく、やさしい。が、どこか少し悲しい、ハ短調である。