2003/5/16  #5

コレラ時代の愛

最近、またしてもこの言葉に出くわしてしまった。
高校生だったころから、ときどきこの言葉に出くわし、
心の深いところに引っ掛かりながらも、うやむやにしてきた。この言葉が本の題名だったと知ったのは、
ついこのあいだ見た映画「セレンディピティ」(serendipity)
に重要な脇役として登場してきたからだ。

別に映画の書評をするつもりはないのだけれども、
久々に晴れ晴れとした気分になったので少しだけ紹介したい。
おおざっぱな映画の内容は、
主人公ジョナサンとサラのラブコメ。二人の出会いはお互いの彼女・彼氏に贈るクリスマスプレゼントを買うつもりで、同時に手を伸ばしたものが、ひと組しかない「手袋」から始まる。お互いに遠慮しあう中、別のおじさんが「ワシがもらう!」と入り込み、すったもんだの末、女性(サラ)のものに。二人はセレンディピティというこ洒落たカフェで意気投合し、セントラルパークで数時間を共にする。
お互いに心地よい不思議な時間だ。
「もし、二人が運命の恋人だとすれば二人は再び出逢えるはず・・・」とサラはいい、運命の出会いの仕掛けを施して別れてしまう。

数年が過ぎ、ジョナサンとサラはお互いの恋人と婚約をし、もうすぐ結婚式を迎えるまでになる。二人とも「運命の出会いなんて・・・」と現実的な道を歩む一方、数年前共にすごしたわずかな時間が忘れられない。
いよいよ結婚を間近に控えるにあたって、二人は何かに突き動かされるように、お互いを探し始める。
運命を確かめるために。
ほんの少しのところで、すれ違う二人を見ていると、じれったさを覚えてしまう。予定されている結婚式の直前、施していた出会いの仕掛けがはたらき始める・・・

二人は果たして見事結ばれるのだろうか?
気になる方は映画をご覧ください。
註、ドボク族は映画評論に路線を変えたわけではありません、
念のため。

この映画に出てくる親友(いい役者だ)がジョナサンに宛てた文章が心に残る。以下。

ジョナサン・トレーガー
有能なテレビプロデューサーが昨夜死去
“運命の女性”と婚約者を同時に失ったショックで・・・
享年35歳

誰も思わなかったろう、
彼があれほどロマンティックだったとは
最後の日々、トレーガーは驚くべき本性を現した
彼の中に眠るユング的人格は“運命の女性”を捜し求める
過程で明らかになった

わずか数時間共に過ごした女性・・・
だが彼女を探す旅は悲しい結末を迎えた
完璧な失敗に終わったのだ
しかし勇気ある彼は最後まで信じ続けていた
“人生は無意味な偶然の積み重ねではない”
“すべての出来事は見えない力によって定められている”と

ピューリッツァー賞に輝く
ニューヨークタイムズ編集長ディーン・カンスキーは
“死の直前ジョナサンは別人のようだった”と、
“彼はもう迷わなかった。”
“人が宇宙の調和に従って生きるのならば、すべては定められたとおりになるのだ“と、
それは私たちがDestiny(運命)と呼ぶ不思議な力なのだ

微笑ましく、美しい映画だった。
私は運命という言葉に少しだけひっかかりを覚えつつ、
この映画を見て思ったのは、「運命」とは潮の流れのようなものなのかもしれないと。
それは、ただ待っているだけでは、なかなか乗ることができず、一度逃してしまうと次の流れをつかまえるまでタイミングを待たねばならない。二度と巡ってこないということはないにしても、つねに自分を潮の流れに乗せる準備をしておかないと、いつもタイミングを逃してしまう。そこには、自分の生きる姿勢が問われていそうな気がする。
最近、損得勘定の仕事仕事に追われて、だいじな潮の流れを見逃しているのかもしれないと、反省してしまうしだいだ。

そうそう、本題の「コレラ時代の愛」の話だが、
まだ日本では翻訳本が出版されていないらしい。
高校のとき、あの先生が言っていたのは原本のことだったのか。それとも、本当にコレラが蔓延する時代の実話だったのだろうか。
「私のいのちよりも、あなたのいのちのほうが大切なのだ。」
と言って愛するものの介抱をし、そしてたくさんの人が生よりも愛を選んでいった時代。「愛」。もし、SARSが日本に蔓延し、同じような状況になったら・・・私は何を選ぶのだろう。そんなことを思うと、近頃は生活の中に愛が欠けているような気がする。

人間が植物や動物、あらゆる物に無限に分け与えることができるものがただ一つあるとすれば、それは愛だ。と言った人がいる。あれは誰だったろう。
このごろ、どうも忘れっぽくなってきたな。
願わくば、人生最後のときは、愛情あふれる状態でいのちを全うしたいものだ。

読者の皆さんはどうですか。
運命を信じられますか?
コレラ時代のような状況になったら何を選びますか?
そして、きょう一日をどう生きますか?

窓の外の雨を見ながら、
ぼんやりと考えてみるのだった。
「コレラ時代の愛」
私がこの本と出逢えるのも、いつのことになるものやら。