2003/3/10  #3

地球のゆくえ

まだ東京にいたころ、半年ぐらい無職で、社会的にも内的にも無重力状態のときがあった。たぶんそのころ読んだ本だと思う。
「地球のゆくえ」という広瀬隆さんの本だ。
その本を読んでからは、世界の権力構造やニュースの裏側で動いている世界、いったい誰がこの世界を動かしているのか?誰が日本をこんなにしてしまったのか?などという黒幕を暴くような本ばかり読んでいた気がする。

そういった種類の本の理屈からいうと、今アメリカが行おうとしているイラク武力行使も、まったくバカバカしく、幼稚な石油利権をめぐるマネーゲームである。平和だとかテロ撲滅だという言葉を盾に、商売のための人殺しを正当化しようとしているにすぎない。第一次世界大戦から、その構造が変わっていないのがなんとも情けない。国連も本来の目的を全うする機能を失い、ただのビジネス機関に成り下がってしまった・・・。
と、いうことになる。

具体的に誰がというと、かならずあるファミリーが浮かんでくるだろう。彼らは軍需製品で儲け、石油で儲け、そして金融、為替相場で儲ける、のだそうだ。それにはどうしても不安定な状況が必要である。政情不安、クーデター、戦争。その後、商売に都合のいい政権を作るのが、彼らの流儀だ。日本もそんな国のひとつである。不安定な状況がなければ、彼らは「つくればいい」と思っているらしい。
「9.11テロ事件以前からとそしてその後、イラク介入前とその後、株価などがどう大きく変動するかをチェックし、誰が一番得をするのかを丹念に調べていくと連中の存在がわかってくるよ。」と、英字新聞が読める日雇い人夫のおじさんが言っていた。
(彼らに象徴されることは、日本でも同じ様に行われている。例えば、神戸の震災のとき、その災害を知るや否や、救助援助ではなく、大手ゼネコン株を買いまくっていた人たち・・・。人の不幸の上に立ってお金を手に入れてうれしいのだろうか?我々はもう少し自分が何をしているのかについて、深く考えなければならない。)

そんな戦争ビジネスの演出のために、自分の税金が(間接的にも)使われるのも腹立たしいが、それよりもなによりも、国家間の利権争いとは無縁の人々がいつも悲惨な目にあい、そして母なる地球は相変わらず蹂躙され続けている。
なんとも我慢のならないことだ。

以前は、そんなことをして裕福な生活をおくっている人に対して、うらやましい気持ちも混ざってか、腹が立って仕方がなかった。しかし、今では彼らを、「打算に翻弄され、美しい人生の経験を見失った気の毒な人たちである。」と、思うようになっている。

そう思えるようになったのはだいぶ後の話だが、それらの知識が本当のことで、すべての権力構造がわかったとしても、私のココロに平和をもたらすものにはなりえなかった、というのが理由のひとつである。批判や憎しみの感情がふつふつと沸き起こり、かえって余計にそれらに振り回されたといってもいいかもしれない。私もまた、アメリカと同じ様に正義と悪の観念のパラドックスに陥っていたのだと思う。

この状況(イラク侵攻)が正しいことや悪いこと、という捉え方ではなく、実は私たちがこの状況を作り、何かを変えなければならない、いい機会なのではないか?という考え方のほうが今の自分にはしっくりくる。アメリカがアメリカが、と言っているけれども、もしアメリカ(アングロサクソンクラブも含めて)が存在しなかったとしたら、おそらく別の国家が同じことをするのではないだろうか。現実的とは言えないかもしれないが、アメリカを作ったのも、今回の状況を作ったのも、我々の意識の総意がそうさせたのだと思うのだ。
とすれば、すべては私の責任である。

この意見に納得できない人は、たくさんいるに違いない。
なぜなら、多くの人々が戦争反対を意識しているからだ。事実、イギリスのクラスメイトたちも「俺らの高い税金使って、軍艦出すなんて冗談じゃねぇぜ。」「フセイン?ふっ、ブッシュのほうがよっぽど怖いさ。」と、憤慨していた。
世界中の人々が武力行使を反対しているのにもかかわらず、状況が悪くなる一方なのは、代議制民主主義のシステムのどこかに問題があるからに違いない。
と同時に、先進国の人々、我々が、「世界中の明日生きられるかどうかわからない人々」を見捨て、自分の日常生活を安定させるために、外国から搾取してきたツケが回ってきたからに他ならない。その問題を先延ばしにするか、今のうちに真正面から向き合って対処するかは、ひとりひとりに委ねられるだろう。

どうすればいいのだろう?
とにかく私は、意思表示をしなければいけない。
武力行使は反対だ。大阪でデモがあったら参加したい。
自分の生活の中で、できることがあるなら、もちろんするつもりだ。しかし、「人間の盾」のようにイラクに滞在して、武力介入反対を訴えるのは、私の役割とは違うような気がする。
私は私の役割のようなものを考えなければならない。
日本は日本の役割を考えなければならない。
私に何ができるのだろうか?

そして、そこから導き出される答えは、けっして結果を目的として、そうするのではないことを正直に申し上げたい。不思議に思われるかもしれないが、戦争を止めるかどうか、ではなくその道を選ぶプロセスにこそ経験の真実が隠されていると思うからだ。
アメリカを悪と決め付けてしまうと、私は同じ経験を繰り返してしまうだろう。私はアメリカを支持しない、と言おうか。
そして、付け加えるなら北朝鮮のミサイルが私の部屋に飛んできたとしても。

役割というところで私には、
ひとつのビジョンのようなものがある。
まだまだ、おぼろげにしか見えていないビジョンなのだが・・・。
それは鎮守の森の思想である。
世界の見識あるNGOのリーダー達は、日本の鎮守の森の思想に注目している。
我々の国に住まう八百万の神々は、ひょっとすると
地球にバランスをもたらす可能性があるのだ。

それを世界に伝えていくには、
どうしても一本の巨木の治療が必要である。
その巨木の名は「生命の樹」。

もう少しそれを掘り下げて考えてみたい。