ドボクなウケウリ学

2002/8/16  #2

 

黄昏の日高見国
歴史に対する公平な認識というのはありえるのだろうか。また、現在の歴史観がどれだけ当時の事実と整合しているかも今となっては証明のしようがない。残っている書物や遺跡などの歴史物を頼りに、「おそらくこうだったに違いない」という確立の高い順に、つじつまの合うよう整理されたものをワタクシは学校で学んだ。わが国の歴史調査は世界で一番進んでいるそうだ。なぜならこの国ほど世界に名だたるドボク力であっちこっちほじくり返している国はないからである。ウケウリ学その2では近年わかり始めてきた日本に住んでいたネイティブの事件を起点に少しだけ考えてみたい。

日本にもネイティブの人々が住んでいたらしい。ワタクシ自身は彼らにかなり影響されているので、彼らびいきになってしまうのは否定できない。そのへんは読者の方にバランスを取っていただきたい。北海道にはアイヌ、東日本全域には蝦夷(エミシ、3つの蝦夷のテリトリーがあった)九州には熊襲(クマソ)と隼人(ハヤト)、詳しくはわからないがほかにもクズ、オキナワンなどその土地と共に生きる人々がいた。しかし、彼らについての詳細を知るすべの多くは、後に渡来してくる渡来人たちの記録に頼らざるを得ない。そして、その記録すらもあやふやで、残されているものは少ない。なぜか?それは、あると都合が悪いからである。誰にとって?それは当時、国を治めるものにとって。尚、好都合なことにネイティブたちには文字文化がなかったので、いくらでも話をでっち上げることができた。彼らは歴史の中で鬼や毛人、土蜘蛛、山人、肥人、阿麻弥人などの名前で登場する。

いくつかの本を読んでいく中で、この国が渡来人という侵略者によって都合よく書き換えられたウソ臭い国だと知ったとき、怒りのためにわれを忘れて、身の回りのものすべてを信じられなくなってしまったことがあった。この国は、ちょうどアメリカのようにヨーロッパ各国があの大陸で利権争いを繰り広げ、ネイティブアメリカンたちを騙し、略奪し、虐殺し、決まったエリアに閉じ込めたのと同じように、高句麗系・百済系・新羅系などの渡来人たちの一部がこの列島でやりたい放題をしたのだ。その戦いや貢物として奪ったネイティブの捕虜(俘囚や俘虜)たちは特定の場所に強制移住させられ、強制労働(特定の職種)の運命をたどる。これが日本における同和問題の起源と言われる。渡来人たちは大陸から産鉄技術や稲作と共にカースト制も持ち込んだ。そして後に、日本の歴史にラスプーチンのように寄生する藤原一族(中国系)によって日本に住んでいたネイティブはほぼ壊滅させられる。それもネイティブをもってネイティブを征すると言うやり方で。

789年、大和朝廷政府軍5万2千の兵と蝦夷軍2千の戦士が岩手県南部の巣伏村で戦い(衣川の戦い)、14の村々が焼き払われたが、チーフ・アテルイ(阿弖流為)率いる蝦夷部族連合が勝っている。それからおよそ10年以上という月日を政府軍の侵略に抗して戦い続けた。802年、征夷大将軍坂上田村麻呂は投降を呼びかけ、アテルイとサブチーフのモレらはそれに応じた。そして、一切の処罰はないという約束を信じ血縁や同族の者500人あまりを引き連れて降伏した。田村麻呂の心配りで拘引されることなく平安京に連行されたアテルイとモレは朝廷に帰順するための屈辱的な儀礼に参加させられる。当初の約束通り日高見国(蝦夷のテリトリーを朝廷側はそう読んでいた)に彼らを送り帰すつもりだった田村麻呂は、二人を処刑するという報を聞いて政府に嘆願する。しかし公卿達は「申請により奥地に放置することは虎を養い患いを遣す」として8月13日、2人を河内国杜山(もりやま、現在の大阪枚方市牧野公園付近)で処刑した。今からちょうど1200年前の話だ。これ以後、200年以上も頑強に抵抗し続けてきた日高見国は崩壊の一途をたどる。
田村麻呂が投降を呼びかけたとき、何らかの条件の提示や調停があったのではなかろうか。そしてそれを信じてやって来たチーフは公家たち(新羅派政権)に「こんな危ない連中を生かしておいたら災いの元になる」といわれ、約束なんかそっちのけで処刑されてしまったのだ。最初からそれが狙いだったのかもしれない。何しろ蝦夷の国は奴隷獲得と金の採れる土地(その金で大仏を作った)、良馬の産地として魅力的な国だったのだから。田村麻呂(百済派)もいいように利用されたのだろう。

余談ではあるが、映画「もののけ姫」は渡来人同士の権力争いと蝦夷を制圧し終えた時代背景の中に、尚も生き続けるその土地の神々が、土地を自分のものと考える人間に最後の抵抗を試みるドラマでもある。律令制度(奴隷制度)で身分ががんじがらめの中、エボシは「たたら場」という要塞の中で差別のない新しい社会を模索し、(それにはどうしても木を切り鉄を作る必要があった)主人公アシタカ(蝦夷の王族の末裔)は総ての者と共に生きるすべを見出そうとする。アシタカが弓矢の達人という設定にも自然にうなずける。なぜなら蝦夷の「夷」は弓を指すのだから。

私が声を大にして言いたいのは、私が東北人だからといって感情的で錯誤したナショナリズムを訴えたいのではない。過去の歴史がどうだったからナンチャラ人がナンチャラ人を憎むというのは馬鹿げているし、土着の人=いい人、渡来人=悪い人などという短絡的な考えも間違っていると思う。なにしろ日本に住んでいたネイティブさえ遥か昔に渡って来た人々なのだから。着目しなければいけないのは土地と共に、自然の循環に身をゆだねて平和に生きていこうとする人々と、土地を我が物として自然を征服、消費して富を得ようとする人々、違う価値観の人間がいつの時代になっても争っていることだ。私たちの社会は後者が選択した結果で、さまざまな問題を引き起こし、いま行き詰っている。
このままではマズイに違いないことは分かってはいるが、それらを解決していくにはどうしたらいいのだろうか?そして土地と結びつき、土地と共に活きるとはどういうことなのか?

今回、この国の歴史の底にあった事件をきっかけに自分自身に問題提起をしてみた。ワタクシにとっては大きなテーマであるので、ひきつづき、気まぐれに考えてみたいと思う。相変わらず読みにくいのはお詫び申し上げたい。

ネイティブの人々についてはあまり詳しく紹介できなかったが、もっと詳しく知りたい方は文章中にちりばめた言葉を検索してみるといいと思う。北山耕平さんが丹念に調べ上げたネイティブの側から見た母なる島々の歴史「ネイティブ・タイム」という本はお勧めだ。

「日」出ずる国と、声高らかにうたった国は
歴史の中に、うやむやでつじつまの合わない陰を作り出した。
それはちょうど黄昏時のように薄暗い時代である。