2004/3/23  #14

ココペッリの笛

去年のちょうど今頃、日本でも反戦の気運が高まっていた。私もできることならと、反戦デモに参加するつもりだったが、結局はやめてしまった。そのころ梅田の某テレビ局横にある大きな公園で工事をしていて、週末ともなると、いろんな団体が集まり、反戦の演説をしている。それを横から見ていて、少しウンザリしてしまったからだ。なんだか、平和ボケした日本人(私も含めて)がお祭り騒ぎをしているように見えなくもない。自分の団体の宣伝や、少しズレたイベントの紹介など、イメージしていた反戦の意思表示からすると、ずいぶん違和感を感じたのだ。

こんな時、平和の笛を吹くココペリが現れてくれたらなぁと、ネイティブの土地を周ったときのことを思い出した。ココペリ、もしくはココペッリとは、平和の笛を吹く精霊のことで、ずいぶん古くから先住民の世界に住んでいたらしい。私の聞いた話では、ホピ族とナバホ族の土地、そこにはずっと以前アナサジ族という謎の多い部族が住んでいて、どうもココペリの由来はアナサジらしいということだった。ナバホの人は「アナサザァ」(サにアクセント)と呼んでいた。そんな精霊が住んでいた大陸も、今ではユダヤ資本の人々に牛耳られ、先住民が望んでいた愛と平和の営みからは、あきれるほどかけ離れた国になってしまった。

1953年  米国はイランのモサデク政権を転覆、
     パラヴィー皇帝の独裁政権を樹立
1954年  グアテマラの民主的政権を転覆、20万人が殺害
1963年  南ベトナムのディエム大統領暗殺を支援
1963年〜1975年 米軍は東南アジアで400万人を殺害
1973年 9月11日、チリでクーデターを支援、
     民主派のアレンデ大統領を暗殺しピノチェト独裁政権を樹立。
     5000人のチリ人が殺害
1977年  エルサルバドルの軍指導者を支援、7万人の民間人と
     4人の米国人尼僧が殺害
1980年代 対ソ政策でビン・ラディンらテロリストを訓練、
     CIAは彼らに30億ドルを供与
1981年  レーガン政権は“コントラ”を援助、3万人の  
     ニカラグア人が殺害
1982年  対イラン政策でフセインに数10億ドルを供与
1983年  対イラク政策でイランに武器を秘密供与
1989年  CIA兼パナマ大統領のノリエガが米政府に反発、
     米政府はパナマに侵攻、ノリエガを逮捕、
     3000人のパナマ民間人が犠牲に
1990年  米国からの武器でイラクがクウェートに侵攻
1991年  米国はイラクを攻撃、ブッシュはクウェートの  
     独裁者を復権
1998年  スーダンの兵器工場を爆撃、
     しかしそこはアスピリン工場だった
1992年  から現在も毎週イラクを爆撃、国連の推計では 
     爆撃と制裁で50万人の子供が死亡
2000年〜2001年
     タリバン政権下のアフガンに2億4500万ドルを援助
2001年  9月11日、ビン・ラディンはゲリラを使い
     3000人以上を殺害

そして去年、3月に米国はイラクに侵攻、世界中の軍隊が駐留しはじめ、一年が経った。上記の内容はマイケル・ムーア監督の映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」から勝手に抜粋させていただきました。陳謝。

「白人社会は」というと語弊があるが、世界を動かす特権階級の人たちには他の人種を人間としてみているのだろうか?この他者から奪うことしか念頭にないやり方には、どうにも我慢のならないものがある。自分たちが不安であるがゆえに、人々に恐怖を植え付け、商売をして自身が安定する。虫けらのように殺されていった人たちはビジネスのための演出でしかない。他国の政府に潜伏して、操作してきた米国。なんだか、北朝鮮の問題さえも日本からお金を搾り出すための演出のように思えて仕方がない。このやりたい放題の国に、何とか市民の力でバランスを取り戻させたいものだ。

そういえば去年、「どうすればいいのだろう。」とつぶやいてから、私の思考も停止したままで、真剣にも考えていなかったと思う。テレビから、雨の中デモに参加している人を見て、なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。

久しぶりに「ココペッリ」で検索をしてみると、興味深いページに行き着いた。どうやら私の知識はかなりあやふやであり、ココペリは中南米の方からやって来たという説まである。私の中ではあいかわらず、平和の笛を吹く精霊のままで、今でもすべての人の心の中にその精霊は住んでいるのだと信じている。世界の特権階級の人々の中にも、心の中にココペリが住んでいることを祈りたい。

私はワタシの中の笛を鳴らし、そういうやり方では世界は平和にならないと、静かに反戦の意を表明したい。そういう人たち、ユダヤ人や中華思想など、選民思想で自分の自我を安定させネットワークを作っていくやり方では、人種を超えた愛にはたどり着けない。自我を支えるのはナショナリズムやお金ではなく、自分の精神であり、魂であり、そして家族の愛から始まっていくのが自然なあり方だと思う。
http://www.nara-tanken.org/essay/b1.html

ココペッリに興味のある方は文化人類学者の西江雅之氏のエッセイがお勧めです。サイトの中の「おはなし」も不思議な感じでおちつきます。