2005/6/17  #27

父の日

おみやげ屋さんで、セーラー服を着た女の子が、そわそわと焼き物を見ている。遠くから万博に来たのであろうか、手にはお土産の入った手提げ袋がいっぱいである。瀬戸焼か、常滑焼か。一人で思案に暮れているその姿の奥には、彼女の家庭が容易に想像できる。彼女は、湯のみと急須を交互に手に取り、差し迫る集合時間を気にしながら、大きさと柄を見比べている。父の日の贈り物かもしれない。

ワタクシは微笑ましくも忍びない気持ちになり、ひと声かけたい衝動に駆られていた。しかし、なんと声をかければよいものか、また、近寄っていったら彼女は驚いてどこかへ行ってしまうかも知れない。そんなわけで、少し離れていたところから、彼女を見守ることにした。そのうちに、自分の小学校時代を思い出した。

小学校の頃、ワタクシはサッカー少年で、そのチームは県で一、二を争うなかなかに強いチームであった。本人はと言えば、レギュラーと補欠を行ったり来たりする程度で、たいしたことはなかったが、チームは強豪であるため、東北各地を遠征する機会が多かったのである。あるとき、仙台に遠征することになり、父親に「それなら、帰りに仙台味噌を買ってきてくれ。」
と頼まれた。記憶している中で、子供の頃、親父に何かを頼まれたのは、その仙台味噌の一件と、祖母(父方の母)といっしょにお風呂に入ってくれ、という二件だけだったと思う。いつも兄ばかりをかまって、次男坊のワタクシはさほど期待されていない様子だったので、ここは奮起して「仙台味噌」を勝ち取らなければならない。正直、試合のことよりも味噌の方が頭から離れなかった。試合が終わり、お土産屋さんに寄って帰ることになった。勢い余ってバスを飛び出すが、しかし、当時小学生4・5年のワタクシは味噌が一体どこにあるのか、皆目検討がつかなかったのである。お土産屋さんの中で市場のような場所を探し出し、(そこは他のチームメイトが買い物をしている場所からだいぶ離れたところにあった。)心細さを感じながら、それらしき店を探し当てた。その店には、これこそまさしく仙台味噌に違いないと思えるほど色艶の良い、そしてご飯にかけても食べられそうな味噌があった。ほかにも豊富な魚介類が並べられており、ここならば安心できる。父もきっと喜んでくれるに違いない。今考えると店主にひと言聞けば良かったのだが、生来、恥ずかしがり屋な性分もあってモジモジとその仙台味噌を注文した。貸し切りバスの出発時間は差し迫っているのだ。
「これください。」
「あら、ぼく、おみやげ?」
「はい。」
「すぐおウチに着く?」
「だいじょうぶです。」
「そう、じゃぁこっちの大きいほうでいいのね。」
「いくらですか。」
値段を聞いて、たまげてしまった。あわてて財布の中を覗き込み、
「やっぱり小さい方じゃ、だめですか?」と聞くと、にっこりして、「だいじょうぶよ。」と言ってくれた。
仙台味噌を買ったワタクシは充実感に満たされつつも、足早にバスに戻った。集合時間を少しまわっていたせいで、まず監督に注意され、親の会の会長に一言もらい、先輩方の洗礼を受け、座席に着く。

ワタクシは、子供ながらに味噌というものは、まったく高級なものなのだと悟り、毎日の味噌汁はありがたく頂戴しなければならないと、深く思うのであった。バスが走り出して、落ち着いてくると、チームメイトの同級生たちがお土産の比べあいをするようになった。人のお土産を見て、ああでもいない、こうでもないと騒がしい。まったく、小学生というヤツは落ち着きが無くて困ると、ため息をついていたところに飛び火してきた。フォワードの選手だった。
「盛田、おまえ何買った?」
「ん、あぁ、味噌だ。」
「は?味噌?なして?」
「・・(いいじゃんべつに)」
そのチームメイトは、周囲のメンバーに言いふらし、盛田が味噌を買って遅れたとちゃかし始めた。バスの後ろの方まで話が伝わるうちに、盛田が長い糞をして遅れたという話に変わっていた。どれ見せてみろと、お土産を手に取った少年が言った。ミッドフィルダーの選手だった。(昔はボランチなどとは言わなかった)
「・・これ、ウニだ。」
ワタクシは目を仰天させ、そんなことはない、これは由緒正しい仙台味噌だと言い張った。しかし、騒いでいるうちに親の会の人が顔を覗かせ、笑いながら「ウニだ!」というのを聞くと、座席にへたり込み、泣き出しそうになった。親父になんと言えば良いのだろう。周りはそれからも騒がしかったが、窓の外を流れる景色を見るでもなしにぼんやりとしていた。

家に着くと、まず母親に事情を説明し、なんとかこの状況を助けて欲しい旨をウルウルとした目で訴えた。母親は穏やかに微笑んで、安心しなさいと言った。母がなんと言ったのかはわからないが、夕食のときには、いつも星一徹のように厳しい父親が、おずおずと照れくさそうに、ありがとうな、と言ってくれた。不器用な親父が気を使ってくれているのを、はじめて見たのかも知れない。あの頃を思い出して、ワタクシにも温かい家庭があったのだなと、なんとなく寂しいような、懐かしいような気持ちになった。

気がつくと、セーラー服の女の子は、いなくなっていた。
近頃は、コラムをなかなかアップできない。ちょっと前までは、友人から「なんだい、嫁ができたら、もうシモネタコラムはおしまいか?」と、からかわれていたが、最近ではそういう声さえも聞かなくなってきた。あまり反応がなくなってくると、ひょっとしたら世間から取り残されているのではと、心配になってくる。だから、ここでひとまず近況を報告しなくてはならないのだ。シモネタコラムをアップできないのは、何もやる気が無くなったとか、聖人君子に変身したからという訳ではない。仕事が安定して忙しいのと、去年から引き続いてやっている「炭焼き職人」のインタビューを、ちまちまちまちまと編集しているからに他ならない。これはなかなかホントに大変な作業なのだ。

しかし、いつまでも修行僧のようにパソコンの前に座するわけにもいかず、仕事の方でも、これから本格的に忙しくなってくるので、バタバタする前に愛知の万博へ行っておこうということになった。なにしろ、夏休みに入ってしまうと子供たちがシロアリのようにウジャウジャと会場へ湧いてくるに違いない。そんなわけでとりあえず万博に行き、少し足を伸ばして知多半島の常滑にまで来たのである。ここは知る人ぞ知る、知らぬ人はまったく知らぬ銘酒の産地なのだ。地元の人から聞いた話では、日本三大銘酒のうちの一つが、この地の日本酒らしい。全国に誉れ高い、灘の銘酒も昔はここの知多半島の酒を兵庫まで持っていって半分割って酒造したものにラベルを貼っていたそうだ。ここに、ワタクシと同じ姓の日本酒を造っている所がある。「盛田の酒」は以前、親父に、愛知に行くことがあったらぜひ買ってきてくれと、頼まれていたシロモノである。喜びを押さえながら、実家の兄に宛ててこの日本酒を送った。わが父は7年ほど前に自ら死んでしまったので、この世を留守にしているが、仏壇に供えてもらうことにしよう。仙台味噌の一件では、かなり気を使わせてしまったが、今回はきっと喜んでくれるに違いない。「盛田の酒」をもって父の日の贈り物とする。

追伸
またしても、事後報告となってしまったが、先月マンション用月刊誌「ウェンディ」さんに小生が取り上げられたので、お時間のある方は読んでいただければ嬉しい。